”体も感覚も人それぞれ”をつなぐ解剖学

ヨガって気持ちよいの??

私がはじめてヨガを経験したときの感想は

「関節が痛いなぁ」

でした。

 

のびて気持ちいいー!

でもなければ、

呼吸が難しい・・・

でもなく、

私って体硬いんだなぁ

でも、ありませんでした。

 

 

とにかく、いろんな関節が痛かったのです。

 

キャットアンドカウは、手首が痛かった。

早く終われーー!と思うほど、

手首にかかる体重が辛くて、

背骨?呼吸??いえいえ、手首が痛いばっかりという印象。

 

 

ダウンドッグでは、ヒジと肩に全体重が乗るような感じで痛みがあり、

どこにも「伸びてきもちいいー!」という感覚は見つけられませんでした。

 

 

トリコナーサナ(さんかくのポーズ)では、ヒザが軋むように痛い。

「足でもっと強く床を踏んで!」と言われ、がんばるほど、

ヒザがヒザ裏側に押し込まれて、そこにしか意識が向かないのです。

「脇腹が伸びて気持ちいいよねー」というみんなの感想には、全く同意できませんでした。

 

 

あと、ランジ。

後の脚のヒザを床につくと、ヒザが痛い。

タオルを敷いてもいいよって言われるけど、しっくりこなくて、違和感で。

 

 

ラクダのポーズは、ヒザも痛いし、腰も痛いし、ヒジも痛かった。

「腰そらさないでねー」って言われても、

「だって、そっちに勝手に体が動いちゃうんだもん!」といった有様で、

腰を反らせないようにする方法が全くわからなくて。

それなのに、「できそうだったら、踵をつかんでね」という指導に、乗っちゃうんですね。

そして、腕を伸ばしきって使って、肘に体重が乗って、また痛いという。

 

 

とにかく典型的な「関節ユル人間」*写真参照*

 これは、先生に見てもらいながら

「あなたがいちばん伸びてるなーと思ってるダウンドッグをやってみて」

と言われた時のもの。

 

肘も肩も、見ててコワイーー!完全なる過伸展(のばしすぎ)です。

こんな、わたしにとって、ヨガって、痛いものでした。

 

 

そして、悲しいかな勘違い。

「体が変わるときは、痛みがあるものだ」

「運動というのは、痛さや苦しさを伴うものだ」

という思い込み。

 

先生は「ムリしないでね」「他と比べないでね」と言ってくれるのだけれど、

ずーーっと運動部に所属し、体を動かすことを続けて来た私にとっては、

「このくらいの痛さ、普通。ケガじゃないし。」

「がんばらなくちゃ、やる意味ないし。」

という感じだったと思います。

 

なので、私にとってヨガは

伸びて気持ちが良い

ではなく

関節が痛いもの

でも、きっと、体に良いはずのもの

でした。

 


正しい方法で体を使っていなければ

「体を動かすヨガによって得られるもの」は、永遠に手に入りません。

 

ですが、

「でもがんばってるよ?」

「でもつづけてるよ?」

という気持ちが、それらを見えなくすることがあります。

 

「正しい方法で」

練習をするのには、知識が必要です。

 

「先生が言ったとおりにやってる」

は、一見正しいようですが、

そこに自分のフィルターがかかっていることを忘れがち。

 

さっきの私の写真、見てください。もう一度。

これが、わたしにとっての「正しいダウンドッグ」「伸びてる気がするダウンドッグ」

なんです。

これ、この時の私にとって「正しい」です。

 

「正しい」って、実は曖昧な言葉なんですね。

そこをサポートするのが、解剖学だと思ってます。

というか、解剖学を使った自分の体の理解ですね。

 

「先生に何度もおなじことを注意される」

「生徒さんが、何度言っても分かってくれない」

こんなとき、解剖学が助けてくれるはず。

 

 

この二日間のワークショップで、それを体験してみてください。